妙見堰
妙見堰

 妙見は三宅とも書き、古代に三宅神社が祀られたのはこの土地とされる。三宅は大和朝廷直轄領の稲米を貯えた屯倉(みやけ)にちなむ土地で歴史は古く、一説に三宅は越後国が成立する以前の7世紀ごろ「越」と呼ばれた時代に開かれたところだという。確かな証拠となるものはないが、妙見神社は山頂に、三宅神社は下の妙見集落に祀られている。13世紀から15世紀にかけての妙見は、上杉氏配下の武将が館を築いて栄えた。
 江戸時代になって江戸往来の宿場、信濃川を往来する船の監視場所が置かれ、交通の要所として重要な役割を果たした。これが妙見の津留(つどめ)番所。妙見堰の完成とあわせて番所跡も復元された。戊辰戦争のときに西軍が信濃川を渡ったのもこの辺である。