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Since 18/03/2002
信濃川大河津資料館
たより OHKOUZU ◆信濃川にまつわる情 報◆


田沢実入 嘉永5年 (1852)〜昭和3年(1928)
 古川村(現在の新潟市白根古川)で生まれ、父与一郎ととも に大河津分水の必要性を訴え、大河津分水の建設に大きく貢献した人物です。大河津分水の桜を守り伝えるために設立された「信濃川大河津分水路保勝会」の初 代会長でもあり、今日の大河津分水の桜の生みの親とも言えます。山宮半四郎との交流も深く、山宮半四郎のアルバムには田沢実入の写真とともに「信濃川分水 工事の大恩人者」と記されています。
 また、大正13年に建立された桜の碑(下記参照)には、次のような田沢実入の歌が刻まれています。

   いく千春かはらでにほへ桜花
        植えにし人はよし散りぬとも

   敷島の日本こころの佐久良花
        堤とと裳によ露つよもか那

山宮半四郎 明治15年 (1882)〜昭和43年(1968)
 地蔵堂町(現在の燕市地蔵堂)で生まれ、のちに地蔵堂町長を 勤めました。大河津分水の建設が開始されると同時に、この大事業を後世に伝えるべく、一帯の公園化を企画したり、また、有志を募り私財を投じて桜の植樹を 行ったり、戦争で中断したおいらん道中を復活させたり、今日の大河津分水の桜があるのは、山宮半四郎のおかげといっても過言ではありません。この功績を讃 え、現在は燕市の名誉市民となっています。
 また田沢実入と同じように、山宮半四郎も次のような歌を残しています。 
 
 分水路の桜に別れを惜しみて
    千代八千代変わらで匂い桜花
         植えし翁の散りしあとにも

 

2人の名前が刻まれた桜の 碑

 大河津分水への桜の植樹を記念して、大正13年11月に建 立されました。田沢実入の歌とともに植樹功労者として、山田卯之七、山宮半四郎、田沢実入の3人の名前が刻まれています。大河津分水公園内にあり、今でも 桜に包まれる碑を見ることができます。

先人から私たちへ 受け継がれる志 
                    館長 碓井 陽一
 記録的な暖冬で今冬が経過してまいりましたが、3月になっ て降雪があり川面で楽しんだ渡り鳥たちも、もうしばらく滞在でしょうか。今回の大河津分水だよりは、お花見を目前にひかえさくら特集で30号を発刊させていただきまし た。

なぜ大河津分水にさくらが・・・。
 信濃川最下流部に位置する越後平野は、毎年繰り返される洪水で悲惨な生活の連続でした。その恐ろしい洪水を、信濃川が日本海に一番接近する大河津村五千 石(現燕市五千石)から野積海岸に直接洪水を流す分水事業に着手(明治40年)し、昭和6年に越後平野に住む住民方々の悲願であった、現在の大河津分水が 完成しました。長期にわたる工事期間、地域の皆さんから絶大なご支援とご協力があったからこそ、この大公共事業が計画どおり完成し、今日の大越後平野へと 発展しました。
 
さくらの時期になる と、この大公共事業の思想を後世につたえ、大河津分水とともに住民が心をひとつにして、ますます発展することを願って、記念公園・記念のさくら植樹を計画、実行した地域の偉人を思い出 さずにはいられません。
 更に、この想いを後世につたえ、ふる里を
さくらでいっぱいにしようと頑張っている"分水さくら を守る会”の方々に先日お話を聞きしましたので次ページ(教えて信濃川」これからも守り伝える大河津分水の桜」)で紹介します。


信 濃川大河津資料館 〒 959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)


TEL(0256)97-2195  FAX(0256)97-2196
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