信濃川大河津資料館 TOP・新着情報
バックナンバー
大河津資料館について
ご利用案内
館内のご案内
大河津分水周辺の
ご案内
団体見学を
ご希望の方へ
大河津分水について
すぐわかる
大河津分水とは
大 河津分水を
知る・訪ねる・語る
企画展・講座・イベント情報

リンク集



Since 18/03/2002
信濃川大河津資料館
たより OHKOUZU ◆信濃川にまつわる情 報◆



いつから大河津分水の桜が あるのか?
 大河津分水が完成し たのは、大正11年(1922年)なので、完成する10年くらい前から、桜の植樹が始まりました(大河津Q参照)。この背景には「大河津分水の偉業を後世 に遺したい!」という地域の方々の強い思い入れがありました。
大正11年大河津分水通水を喜び、自在堰の上でバンザイをす る関係者。
 しかし、昭和2年の自在堰陥没に伴う工事や、第二次世界大 戦に伴う桜の伐採で、大河津分水の桜は絶滅の危機を迎えました。そのたびに、当時の人たちは、桜を植え、守り伝え、そして、昭和20年代になると新潟県随 一と言われる桜の名所になり、多くのお花見客で賑わうようになりました。
昭和20年代と思われる大河津分水の桜。
いつから「おいらん道中」 が始まったのか?
@ 大正13年説
 桜町(現在の燕市桜町)の桜の下で、有志により仮装行列が行われました。しかし、現在のおいらん道中とは違っていたといわれています。


A昭和4・5年説
  桜町で、料理組合などが人集めの仮装行列を行いました。これが、現在のおいらん道中の原型といわれています。

B昭和9年説
 分水路花の会が行楽客の増加を期待し、計画したといわれています。多くの刊行物に昭和9年が始まりと記されています。
昭和初期のおいらん道中のようす。

大河津分水桜年表
年号 西暦 できごと
明治40年 1907 大河津分 水工事の開始が帝国議会で可決される。
明治42年 1909 大河津分 水工事が本格的に始まる。
明治43年 1910 大河津分 水に桜を植え始める。
大正11年 1922 大河津分 水に初めて水が通る。
大正13年 1925 桜の碑が 建立される。
大河津分水の桜を守り、宣伝するための協会「分水路保勝会」が設立される。会長は田沢実入、副会長は山宮半四郎。分水路保勝会が中心となり約4300本の 植樹を行う。
昭和2年 1927 自在堰が 陥没し、信濃川下流は水不足となる。直ちに可動堰の建設に着手する。このとき約2000本の桜が移植されるが、ほとんどが枯れてしまう。
昭和4年・ 5年頃 1929
1930
地蔵堂料 理組合が出資し、桜町(燕市桜町)で仮装行列を行う。これがおいらん道中の原型と言われている。
昭和6年 1931 自在堰に 代わる可動堰が完成する。
昭和9年 1934 おいらん 道中として、大河津分水の桜の下で開催されたといわれる。その後、戦時下のため、おいらん道中は行われなくなる。
昭和19年 1944 戦争のた め軍の要請で大河津分水の桜が1000本以上伐られる。
昭和22年 1947 戦争が終わり、おいらん道中が復活 する。
昭和25年 1950 大河津分水公園が「佐渡・弥彦国定 公園」に指定される。
昭和53年 1978 信濃川治水100年記念事業として 600本の桜が植樹される。同年大河津資料館開館。
平成2年 1990 大河津分水の桜が全国桜名所100 選に選ばれる。
平成16年 2004 桜の老朽 化が目立つようになり、五千石堤防の強化の際に、一部の桜は若木と植え替える。
平成19年 2007 新燕市誕生後2回目のおいらん道中 が開催される。

分水路堤防の桜の植え替え
 大河津分水の五千石堤防は、洪水が衝突する水衝部となって います。堤防へのダメージが毎年積み重なり堤防を強化する必要がありました。また、五千石堤防付近に植樹された桜は70年以上が経過し、老木が多く倒木の 危険がありました。そこで、平成16年の五千石堤防強化工事の際に、若い桜に植え替えられました。
植え替え作業中の大河津分水の桜。老木の多くは花の付きが悪く、中にはまったく花が咲 かない木、ハチやアリなどの巣になっていた木もありました。


信 濃川大河津資料館 〒 959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)


TEL(0256)97-2195  FAX(0256)97-2196
e-mail 
*リンク・著 作権について
Copyright (c) 2002-2007 Shinano River Ohkouzu Museum. All Right Reserved.