信濃川大河津資料館 TOP・新着情報
バックナンバー
大河津資料館について
ご利用案内
館内のご案内
大河津分水周辺の
ご案内
団体見学を
ご希望の方へ
大河津分水について
すぐわかる
大河津分水とは
大河津分水を
知る・訪ねる・語る
企画展・講座・イベント情報

リンク集
信濃川大河津資料館
たより OHKOUZU ◆大河津分水の歴史と経緯◆
@地すべり現場
 分水路河口付近の地すべり箇所です。平成5年にも地すべりが発生し、その際新潟県により地すべり対策工事が行われました。地すべりによりむき出しになった山肌には現在木々が生い繁っています。
A客土の丘と森山君記功碑
 “客土の丘”がある場所は、かつて腰まで水に浸かる深田が広がっていましたが、分水町源八新田の森山一郎の働きにより、分水工事で掘った土を利用し深田を埋め立てました。そのときの土が約1.5kmにわたって現在も残っており“客土の丘”と呼ばれています。また、森山一郎の功績は記念碑に刻まれています。
客土の丘
森山君記功碑
Bかつての堤防
 大河津分水完成前の堤防が国道として残っており、道路は周囲より高くなっています。
C登録有形文化財洗堰
 大正11年に通水した洗堰は78年間にわたり越後平野を水害から守り、大河津分水の機能を支えてきました。その歴史の証として現在は登録有形文化財に登録し、保存されています。周辺は公園として整備され、堰の下は写真のようにくぐり抜けることができます。 
D桜之碑
 大河津分水の桜は、大河津分水工事を記念し“田沢実入”や“山宮半四郎”らが中心となり植樹され育てられました。桜之碑にはその功労者の名前が刻まれています。“桜之碑”の筆者は、土木技術者(内務省技師)の“三池貞一郎”です。
E大河津閘門之碑
 第2次工事でつくられた初代閘門は、舟運が盛んな時期であったこともあり非常に活躍しました。また、当時としては珍しい観音開きのゲートが使われていました。その初代閘門を記念し石碑が建てられています。
 初代閘門の一部を使い、
初代閘門があった場所に建てられています。
初代閘門。昭和10年撮影。

信濃川大河津資料館 〒959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)
*リンク・著作権について
Copyright (c) 2002-2007 Shinano River Ohkouzu Museum. All Right Reserved.