信濃川大河津資料館 TOP・新着情報
バックナンバー
大河津資料館について
ご利用案内
館内のご案内
大河津分水周辺の
ご案内
団体見学を
ご希望の方へ
大河津分水について
すぐわかる
大河津分水とは
大河津分水を
知る・訪ねる・語る
企画展・講座・イベント情報

リンク集
信濃川大河津資料館
たより OHKOUZU ◆大河津分水の歴史と経緯◆
@横田破堤記念碑
 横田破堤地(分水町横田)には地域の方々によって記念碑が建てられ、今は公園として整備されています。公園から対岸約450m先に現在の信濃川堤防を見ることができ、大河津分水通水後にどれだけ信濃川が狭くなったかを実感することができます。
A宝光院
 明治29年の横田切れの爪跡は現在も残っています。その一つが宝光院(新潟市槇尾)の柱です。地上から2m40cmの高さまで水に浸かりました。宝光院入口には水位標が建てられ、当時の浸水深を知ることができます。
B板壁に記された水害の記録
 横田切れの際に、家が水に浸かったが家族は何とか無事だったことを書いた当時の家の板壁が今も残っています(新潟市角田氏所蔵)。
C水に浸かった水倉
 長岡市中之島にある水倉も横田切れの際に別の堤防が破堤し水に浸かりました。浸水した部分の白壁は新潟地震の際に崩れ落ち、現在も写真のような状態で残っています。 
D大竹貫一胸像
 長岡市中之島出身の大政治家です。木曽川の改修工事踏査報告では、木曽川の治水工事について記されており、明治29年の新潟新聞に掲載されました。また大河津分水事業の推進、刈谷田川の改修に努力し大堰を築いて用水としての利用をはかりました。長岡市中之島の大竹邸記念館には、左のような胸像が建てられています。
E引かない水「こもる水」
 南蒲原郡信条村(現:長岡市信条付近)の家屋。濁流が湛水してから屋根裏の高い所にあげておいた食料等を運び出しました(長岡市下田氏所蔵)。
F竹之介生誕の地
 北越治水策を記した高橋竹之介は中之島の杉森に生まれました現在は「竹介先生出生之地」と書かれた石碑が建てられています。

信濃川大河津資料館 〒959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)
*リンク・著作権について
Copyright (c) 2002-2007 Shinano River Ohkouzu Museum. All Right Reserved.