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信濃川大河津資料館
たより OHKOUZU ◆大河津分水の歴史と経緯◆
@石湊山
 石湊山は第1次工事の起工式(左絵)が行われた場所で、山上には弥彦の神様が分祀された石湊神社が建立されました。現在、神社はありませんが、分水路を一望することができます。
石湊山大祭式略図
(弥彦神社所蔵)
A新潟港(新潟西港)
 新潟港(西港)は、大河津分水工事の完成と同じ頃、近代的な埠頭が完成し大きな船が安全に航行できるような水深になりました。左絵は江戸時代の新潟港で、大型船は沖合に停泊していました。
新潟湊之真景
(新潟県立図書館所蔵)
B高橋家の墓
 田上町羽生田定福寺の共同墓地にある高橋家の墓(平成14年離檀)。墓の脇に霊標があり高橋健三を中心とした家族13人の氏名が刻まれています。
C黒鳥の鷲尾家
 黒鳥には洪水から村を守るために築いた土手「囲い土手」の一部も残っています(写真左下)。鷲尾政直は明治14年7月、新潟新聞紙上に「西蒲原郡治水起工議」を発表し、「水を治める道は、人民結合一致の精神を基礎としなければならない。そうでなければ、どのような考察を尽くし、資本を投じても、それだけではその全効を期することはできない。」と述べています。 
豪農・名家の面影を残す鷲尾家
(新潟市黒鳥)
D田沢実入の墓
 新潟市白根古川にあり、大河津分水の方向に向いているとも言われています。田沢実入は若くして父与一郎と共に治水運動に従事し、第1次工事廃止決定後は自ら治水会社を設立し分水工事再興に尽くしました。また、大河津分水の桜にも縁の深い人物です。
E五反田切れ痕跡-新潟市朝捲の東福寺
 明治14年(1881)に加茂市五反田の堤防が切れ水害に見舞われた際に、浸水した痕跡が約11km離れた東福寺の柱に残っています。また、五反田には度重なる信濃川の氾濫による全村移転の苦難の歴史を刻んだ移民碑(写真左下)があります。
番外 大河津分水開削前の風景
 大河津分水開削前の風景を描いた資料「信濃川分水路真景」(弥彦神社所蔵)です。
 分水路堀割地全図。
 分水路の計画(赤線)が確認できます。
 須走村付近。
  現在の分水路河口付近です。
 渡部村付近。
  現在の分水町渡部はこの工事で今の所に移転しました。
 大川津村・信濃川付近。
  現在の資料館付近です。

信濃川大河津資料館 〒959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)
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