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信濃川大河津資料館
たより OHKOUZU ◆大河津分水の歴史と経緯◆
 大正11年の通水から5年後の昭和2年、分水路へ流す水量を調節する自在堰が突如として陥没しました。ただちに応急工事が行われ、引き続き、可動堰や床留・床固を建設する補修工事が行われました。
自在堰の陥没・・・
 昭和2年6月24日の自在堰陥没に伴い、上流から流れてくる水のほとんどは分水路へと流れ込み、流水が途絶えた信濃川下流域は、農業用水、上水道用水をはじめ、舟運などの各面で大きな災害に直面しました。自在堰陥没の原因は度重なる洪水による堰の基礎部分の洗掘であり、分水路全体の河床の洗掘が明らかになりました。
陥没した自在堰。
堰が斜めに傾いている様子がわかります。
応急工事から補修工事へ
 自在堰陥没後、ただちに応急工事として、信濃川下流域への流量を確保するための仮締切りの建設が行われました。同時に自在堰の復旧に向けての調査が始まりましたが、自在堰の復旧はダメージが大きいことから絶望的となり、昭和2年12月、補修工事として、新しい堰である可動堰の建設、同時に固定堰の改築、分水路への床留・床固の建設が実施されました。
第一仮締切りで水位を維持し、第二仮締切りで陥没した自在堰を保護していました。

青山士
 補修工事の最高責任者として新潟土木出張所長(現在の北陸地方整備局長)に任命された青山士(あきら)は、現場責任者の宮本武之輔と協力し、補修工事の完成に貢献しました。昭和6年の竣工報告祭では、「信濃川の水害恐るべし 信濃川の水もって利用すべし 天佑と人の努力とにより其除害と利用の工今や成る感謝と感激何物にかたとへんや」と述べました。
青山士 青山士(左)と宮本武之輔(右)。
背景は建設中の可動堰です。
宮本武之輔
 補修工事の現場責任者に任命された宮本武之輔は、工事の開始にあたり、「この工事は内務省(現在の国土交通省)の威信をかけた雪辱戦であり、犠牲になった先輩・同僚たちへの弔い合戦である。」と声を震わせ、涙を流しながら悲壮な決意を述べました。そして、自在堰にかわる可動堰を設計し、現場事務所に増築された六畳一間の宿舎に寝泊まりしながら、4年間にわたり工事の指揮にあたりました。
宮本武之輔 宮本武之輔が寝泊まりした事務所。
現在の大河津資料館付近です。
参考資料:ほっとほくりく2003年2月号、3月号

信濃川大河津資料館 〒959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)
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