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信濃川大河津資料館
たより OHKOUZU ◆大河津分水の歴史と経緯◆
 明治40年(1907)、政府は大河津分水工事の実現を決定し、42年、起工式が行われ、分水路の掘削と水量を調節する堰の建設に着手しました。途中、地すべりなどが発生し、工事は計画どおりに進みませんでしたが、大正11年(1922)、大河津分水路に初めて水が流れました!この工事は明治初期の第1次工事に対し、第2次工事(正式名称:信濃川改良工事)と呼ばれています。
大型機械と1000万人の力
 分水路の長さは約10km、そのうち8kmは平地でしたが、海に近い2kmは高さ100m程の山でした。掘った土の量は約2900万m3で、ダンプカーに積むと地球を1周する程の量です。外国から輸入した大型機械と国産の大型機械が使われ、のべ1000万人の労働者が携わりました(当時の新潟県人口は約180万人)。工事は、規模の大きさ、難しさから“東洋一”とも“東洋のパナマ運河”とも呼ばれました。
河口付近の工事の様子。
たくさんの大型機械が稼働している様子がわかります。
化け物丁場
 海から約1km離れた山間部では、同じ場所(分水路右岸側)で工事中に3回(うち、分水路通水後に1回)の地すべりが発生しました。規模は1回目が最大で、崩れた土の量は600万m3になりました。この付近は地すべり地形になっており、掘ってもすぐに埋まってしまうため、“化け物丁場”と呼ばれていました。
第1回地すべりの様子。
大型機械が土砂に埋もれている様子がわかります。
大河津分水路へ通水
 分水路とともに、信濃川下流に流す水量を調節する、洗堰、自在堰、固定堰の3つの堰と閘門(船が通る道)が完成し、大正11年8月25日、洪水を利用して締切堤防が切られ、分水路に初めて水が流れました。今から80年ほど前のことです。

信濃川大河津資料館 〒959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)
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