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大河津資料館だより◆連載 信濃川補修工事ものがたり-史料紹介と解説◆ 
■<史料>信濃川補修工事竣功式祝辞

工事竣功を祝して 地蔵堂実業協会長 山田國三


四星霜の久しきに亘り、約450万円の国費を投じ、しかも現代土木工学の粋を集め、衆知を尽し、万代不変のものたらしめんがために、幾多の犠牲と心血を注いだ信濃川補修工事も、今や、完成の運びに至り、本日の吉辰を卜して、大河津分水記念公園地内において、補修工事竣工報告祭の式典並びに本県協賛会の盛大なる祝賀会を誉行されたるは、国家の為、誠に慶賀に堪えざる所であります。

 而して、地蔵堂町は地元関門の立場として永年陰陽の福利を得たるに鑑み、挙町一致、協賛会を組織し、聊か祝意を表すると共に、遠近の参列名士に歓迎の敬意を表示する次第であります。延々百里の遠きより来る信濃川の水流は、世界に誇る可動堰の通水に依って、新信濃川に放流され、一指の力を以て、良く数千貫の鉄扉開閉を誤らず、満々たる水位の調節容易なるを見るの時、吾人は□々人工技工の進歩に驚かざるを得ないと共に、将に土木工学界の権威者として、彼我共に任ずる賢明な主任技師宮本博士以下従業員各位永年の労苦に対し、九拝の感謝を致すものであります。

宛然神術に比しき可動堰の開閉により、水位は意の如く調節せられ、本川洗堰の下流は洪水旱魃の憂いを去り、いわゆる蒲原の平野は水難の悩みを一掃し、更に河状整理により数千町歩の新規造成地の開拓、新潟港の水深維持など多年の宿望を達成して福利増進の日を見るの近きにあるは、県民のひとしく欣快に堪えざるところであります。

 回顧すれば、4カ年の久しきに亘り、春は雪解け、夏洪水、秋は雨量多く、冬荒て滔々不熄の濁流に悩まされ、天にめぐまれず、地の理を得ざる補修工事は悪戦苦闘、心苦全く名状すべからずであったが、至識は天に通じ、大河に横たわる汗の結晶即ち強大なる可動堰によって、豪流も全く征服されるに至り、信濃川を平定した勝利の栄冠をになう当事者の名誉は蓋し大なりというべく、その成功喜悦の半面には、又言うべからざる愛着の念いよいよ深きものがあるであろうと思う。

今や、新信濃川の完成は天地神明に報告せられ、世にも稀なる可動堰・固定堰・第一、第二床固・本川洗堰・閘門など、いわゆる分水路一帯をひろく天下に紹介するの時が来たのであるが故に、あれはてた県営記念公園を復興し、観覧の便、旅客衆人の吸収策の方途を講ずるのが地元町村における目前の急務なるをもって、地蔵堂町実業協会は今春来、東奔西走、日もなお足らずである。即ち、今秋長岡市において開催の上越鉄道の全通記念博覧会に一般の参考に供するため、分水路の模型を参考館に設置致したき議に関し、長岡市当局と相呼応して、主任宮本博士に懇願したるところ快諾され、保存参考品として、一は可動堰内面模型、一は分水路全景模型が作製中の由で、県下空前の上越博に異彩を放つことと予期されている。愚見の一端を披瀝し、以て祝辞に代えたる次第であります。

  
<史料解説>
 この竣功式では、「新潟新聞」(昭和6年6月20日付)に次の6人の式辞と祝辞が掲載されていた。
 内務省土木局長-丹羽七郎(大臣代理) 
 内務省新潟土木出張所長-青山士 
 県会議員-藤田善太夫 
 新潟市長-中村淑人 
 県土木課長-川上國三郎 
 地蔵堂実業協会長-山田國三

 この竣功式で、地元代表としては、山田國三が祝辞を述べた。地蔵堂実業協会は、戦前期、いわば、商工会の前身ともいうべき組織であるが、その結成のいきさつや業績等は、今の段階では明らかではない。この祝辞から察せられるように、挙町一致による協賛会を組織し、会長が代表として祝辞を述べる立場にあることは、当時の地蔵堂町の中で大きな地位を占める有力団体であったことは確かである。

 山田國三は、実業協会の会長のみならず、昭和6年当時は町会議員(普選以降)でもあった。その後、昭和10年には、地蔵堂町長に一期4年就任、戦後には、地蔵堂町会議長として活躍した。この祝辞が、当時の町長中村公久ではなく、山田國三が述べた事情はわからない。

 この祝辞からは、何といっても、当時の地域の人びとが大河津分水に大きな期待を寄せ、その完成を「慶賀」し、「感謝」し、「名誉」とし、誇っていたことを十分にうかがうことができる。なお、工事中荒れはてた記念公園を復興し、観光を振興する意図を表明していることも重要である。この後、山宮半四郎を中心する桜の植樹が進展し、さらに、今日の「おいらん道中」の誕生を促したことはいうまでもない。

 この祝辞から明らかになったことの一つとして、現在、信濃川大河津資料館2階に展示されている宮本武之輔が製作した「可動堰」の模型の由来がわかったことである。地元の要望に応え宮本が設計し製作した模型は、きわめて精巧と評され、しかも、基礎工事の状況がわかる「内面模型」である。陥没を二度と起こさない基礎工事の技術を人びとに示し、地元の人びとの抱いている不安に応え
模型を製作し公開した技術者宮本の誠意と熱意を強く感じるのである。そして、新潟県の近代化発展の道筋をつけた上越線の開通記念博覧会に可動堰の模型と分水路の模型を共に出品を要請した分水地域の人びとの新しい時代への展望と意欲を物語ってくれる貴重な史料といえよう。そして、地域の人びとは、50年前の3町村合併にのぞみ「分水」を新しい町の名称とした。

昭和6年(1931)に製作された可動堰模型。
基礎工事の状況がわかる「内面模型」である。

信濃川大河津資料館 〒959−0124 新潟県燕市五千石 (旧分水町五千石)
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