信濃川水系での治水事業の歴史についてご紹介します。
 
年代:1582(天正10)年〜1597(慶長2)年
場所:中ノ口川の燕市付近から白根市新飯田付近
信濃川下流

〔直江工事〕
 三条から白根付近の河道は3回の変遷を経ている。第1次変遷は上杉謙信の家臣直江山城守により1582(天正10)年から1597(慶長2)年に行われた工事で直江工事といわれている。これは燕島を防護して主流を東へ寄せることを目的としたもので、一方は現在の燕市小高・佐渡を通り、白根市大字新飯田から加茂市大字鵜ノ森方面へ、他方は新飯田から現在の中ノ口川方面に向かわせた。現在の中ノ口川はこのときの掘削によるものといわれる。

〔万冶工事〕
 信濃川下流の河道における第3次変遷は、1655(明暦元)年から1660(万治3)年にかけて、村上藩主松平直矩により行われた。万治工事といわれるこの工事は、信濃川主流を三条方面へ流下させるため、道金分岐点において杭出しをして中ノ口川との分流を維持するようにした。そのため、今まで信濃川の主流であった現在の中ノ口川は、次第に信濃川の支流として縮小され、変化していった。

信濃川・中ノ口川分派点より下流を望む
(信濃川下流写真集より)