信濃川水系での治水事業の歴史についてご紹介します。
 

時代

年(度)

名称 一覧表の場所 概要
大正 1914
(水害)
信濃川:死者55人、被害家屋数9,174戸、水害被害区域面積約7,600ha(農地)  
千曲川:被害家屋数369戸(流出・床上浸水・床下浸水)、水害被害区域面積約820ha(農地)  
1917 河川法準用河川に決まる。内務省土木局新潟出張所の直轄施行となる
1917
(水害)
信濃川:被害人口1名(死者)、流失・全壊家屋29戸、土木復旧費135万円、耕地総損害219万円  
1922 信濃川改修工事
(大河津[おおこうづ]分水路・旧洗堰[あらいぜき]・自在堰)
1909(明治42)年〜1922(大正11)年
新潟県分水町(信濃川) 享保年間に本間屋数右衛門より出された最初の請願より、実に200年余りの歳月をかけて1909(明治42)年より本格的に工事が開始され、1922(大正11)年に通水した。この工事は当時、東洋一の大事業といわれた。※1
1926
(水害)
信濃川:死者83人、行方不明者23人、流出全壊家屋577棟、水害被害区域面積31,779丁歩(約31,500ha)、水害被害高2,134万7千円余  
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※グレーの帯は水害の歴史です。
出典:※1 信濃川百年史