国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所 やすらぎのしなのがわ

過去の洪水・水害

明治29年7月「横田切れ」

 1896(明治29)年7月22日におきた大洪水で、各地で堤防が切れましたが、そのうち最も影響の大きかった破堤場所の地名(旧分水町横田)から、一般に「横田切れ」と呼ばれます。
 被害は水害による直接死傷者78人、浸水家屋25,000戸に及び、大河津分水路建設の大きなきっかけとなりました。
 川の水位よりも低い土地が広がる越後平野の水害の特徴は、「こもる水」と呼ばれるように、浸水した水が長い間引かないことにありました。その水は、田畑に浸かり凶作をもたらし、伝染病を流行らせる原因となりました。

※)大河津双書より

資料提供:信濃川大河津資料館

 当時の「横田切れ」の浸水範囲を示した図です。破堤箇所は横田だけでなく、信濃川中流域の長岡市や支流の魚野川、また阿賀野川などの流域でも水害が起きていることがわかります。