国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所 やすらぎのしなのがわ

信濃川の成り立ち

信濃川がつくった平野〜越後平野〜

 日本有数の穀倉地帯、越後平野は、信濃川や阿賀野川が運んできた土砂が堆積してできた平野です。
 縄文時代という大昔、そのころ海だったところに、信濃川などが運んでくる土砂と、海流の影響によって新潟砂丘ができつつありました。 越後平野はこの砂丘と周りの山々に囲まれた大きな池の中に信濃川や阿賀野川が運んできた土砂が非常に長い年月をかけて堆積してできた平野という訳です。 まさに「母なる川」と言えるでしょう。

越後平野の空撮

寛治(かんじ)図(略図)寛次3年(1089年)
 江戸時代から多く利用された地図で、越後平野が大きな湾だったことを示しています。
 しかしながら、この地図が、本当にこの時代に作られたものかどうかは疑わしいとされています。

寛治図(略図)

越後平野のできる前(推定図)

越後平野のできる前(推定図)

信濃川の様子

川の様子は、上流・中流・下流で大きくちがいます。信濃川ではどうなっているのでしょうか?

上流
「上流」の山間部では、川幅が狭く、勾配も急で、流れもとても速くなります。
そのため、流れの力がとても強く、川原には人の頭よりももっと大きな石がゴロゴロしています。
信濃川の上流には有名な上高地などがあります。
上高地
中流
山間地を流れてきた川が平野部に出る「中流」のあたりでは、川幅は広く、勾配もゆるくなり、流れもゆるやかになります。
川原の石は人の頭よりもだいぶ小さくなります。 小千谷や長岡付近が信濃川の中流にあたります。
長岡市付近
下流
川が完全に平野部に出てくると、そこは「下流」と呼ばれ、川幅は広く、勾配もほとんどないので、流れはとても穏やかになります。
そのため流れの力も小さくなり、川原には細かな砂利や砂しか見られなくなります。
大河津付近や三条・新潟付近が信濃川の下流にあたります。
新潟市