信濃川治水歴史めぐり
信濃川大河津資料館
 明治9年に開始された信濃川河川改修工事から100年を記念して、昭和53年に建てられました。
 信濃川の歴史や大河津分水に関する資料が収集、保存され、模型や写真と共に展示されています。今も洪水からわたしたちの命と暮らしを守り続けている、大河津分水の歴史と役割を伝える4階建ての建物です。
信濃川補修工事竣工記念碑
 信濃川補修工事竣工を記念して建立されました。碑は、自在堰の堰柱を模して造られたもので、碑の銘文は大河津分水補修工事を担当し、手腕を発揮した、内務省新潟土木出張所所長青山士氏が記したものです。
 「万障に天意を覚る者は幸いなり、人類の為め、国の為め」と刻まれた銘版の言葉は、万国共通語とされていたエスペラント語でも残されており、世界の人々にこの言葉を伝えたいという青山氏の気持ちが表されています。
句仏句碑
 昭和3年春に大河津分水を訪ねられた東本願寺23世法主の句仏上人の「禹(う)に勝る業や心の花盛」という句が刻まれています。句仏上人が、大河津分水完成までの人々の努力の歴史を聞き、中国の黄河を治めたという禹(う)よりも勝るできばえの大事業であると、その先人の心の美しさに感心して詠んだものです。
信濃川治水紀功碑
 大正13年(1925年)3月建立された「信濃川治水紀功碑」は、ここを訪ずれる人々に大河津分水工事は信濃川治水の生命であるということを、後の世の人々に知ってもらうために建てられた記念碑です。高さ7.2M、幅2.5Mの巨大な石碑には、「議定宦元師陸軍大将大勲位功2級載仁親王篆額大正13年、歳申子に在り。3月23日、越後大河津分水工事竣りを告ぐ。歳を閲する十有8年、工を用する壱千余万人」など分水工事の由来、経緯、内容が克明に刻まれています。
大河津分水工事殉職の碑
 「大河津分水工事殉職の碑」は、分水工事もほぼ完成に近づいた大正12年(1923年)10月23日、分水町石湊の分水河畔「夕暮れの岡」に建立されました。「夕暮れの岡」は分水工事の起工式が行われた場所です。その後昭和11年(1936年)5月に現在の場所に遷座されました。
 明治42年以降の分水工事における殉職者100名の氏名が刻まれています。
桜の碑
 桜の植樹を記念して大正13年(1924年)に建立された桜の碑。裏には功労者の名前と田沢実入が詠んだ歌が刻まれています。