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| 三国川ダムの周辺には彫刻像、句碑が設置され、また、毎年7月下旬にはダムサイトで地元伝統芸能『五十沢歌舞伎』が上演される等、文化の薫りが漂っています。これらについて紹介します。 |
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三国川ダムの地元、五十沢地区には約200年前から伝わる伝統芸能、『五十沢歌舞伎』『藤村流歌舞伎踊り』があります。昭和の時代に入り、他の娯楽がもてはやされるようになってから途絶えかけそうな時期もありましたが、昭和42年、44年に三国川、五十沢川を襲った大水害の復興記念行事で、再び上演されるようになりました。また、三国川ダムの地元と言う事もあり、ダムに関する記念行事の折りにも上演されました。現在は五十沢歌舞伎保存会(桑原政二代表)、藤村流保存会の皆さまで受け継がれており、『五十沢歌舞伎』は平成9年2月14日に六日町指定文化財、『藤村流歌舞伎踊り』は昭和47年4月27日に六日町無形文化財に指定されました。平成11年より7月下旬に毎年行われている『森と湖に親しむ旬間』に「しゃくなげ湖まつり」として上演されています。 |
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安達原三段目
−袖萩祭文の場− |
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一の谷嫩軍記
−熊谷陣屋の場− |
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菅原伝授手習鑑
−寺子屋松王首実見の場− |
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寛永10年(1798年)、旧五十沢村の清水瀬部落で暮らしていた桑原関十郎は、非常に芸事が大好きで、またとても器用な人でありました。当時各部落では地芝居が盛んで、春にもなると歌舞伎の役取りで賑わっていました。地芝居と言ってもその頃は特別師匠がいる訳でも無く、自然に関十郎が指揮を執るようになっていました。
そんな頃、珍しく当地に東京から今市一座の歌舞伎公演がやってきました。一番喜んだのが関十郎であります。一座は地元で一日興行した後、各地へ巡業ながら佐渡に向かう事になっていました。公演に惹かれた関十郎は、親の反対を押し切って今市一座に加わり、共に佐渡へ渡ったのです。
佐渡はその頃、金山景気で賑わっており、歌舞伎興行も盛況でありました。しかし、仕事もしないで歌舞伎ばかり見てもいられず、帰ろうとしたところ折から晩秋の候、海が荒れて帰るにも帰れず、長滞在もたたり関十郎は路金を使い果たし、ついに一座と共に佐渡で越冬しなければならぬ羽目になりました。
佐渡の佐和田町で越冬中、何もせずに一座に加わっているのも悪いと思った関十郎は、藤村流踊りの師匠であった座長に付いて手伝いをする傍ら、付近の娘達と共に歌や踊りを習いました。生来芸事が好きだったゆえ懸命に習い、ひと冬一緒に過ごすうちに座長と共に踊りや歌を作るようになりました。
やがて春になり、一座と別れるに当たり座長が関十郎に向かい「おまえに藤村流を授ける」と申され、その後関十郎は”藤村関十郎”と改名し、故郷に帰って来ました。関十郎は一座で覚えた芸事を部落の人達に教え、また地元で上演もし、娯楽の少ないその時代に人々を喜ばせました。その後『五十沢歌舞伎』『藤村流歌舞伎踊り』は地元の方々に伝承され、今に至っています。 |
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