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第4章  高瀬川と人びとの暮らし


高瀬川災害の体験談


1969(昭和44)年8月11日の高瀬川災害は「44災」と呼ばれ、高瀬川で起きた水害の中でも特に大規模なもので、その後の防災の貴重な教訓となった。ここでは実際に「44災」を体験した人にそのときの恐ろしい体験を話してもらった。また、災害当日の大雨の様子も、あわせて紹介しよう。

●災害に思う… 小松兼俊さん(葛温泉 仙人閣ご主人)
この年は8月に入り毎日のように雨が降りつづき、特に11日は一段と強く降っていました。前日のお客様がお帰りになり、みんなで掃除をしていたときです。突然自家用の水道が止まったので、私は水源の小白沢を見に行きました。その時、目の前で小白沢からの土石流が県道の小白沢橋をあっという間に押し流していきました。この光景を見私は恐怖で足がすくんでしまいました。高瀬川を見ると、濁流が津波の様に3~4mの段になってものすごい勢いで流れています。あわててお客様をつれて、県道の上に避難しましたが、仙人閣は濁流にのみこまれてしまいました。その夜は裏山の営林署の事務所に泊まり不安な一夜を過ごしました。翌日は、雨がやんで昨日の天気がうその様な晴天になり、ここでようやく、みんなが無事であったことを喜び合いました。この日から30年が過ぎ、災害の記憶も薄れてきています。昔から災害は忘れたころにやってくると言われています。このような災害が二度と起こらないように願いたいものです。


土石流とは…
長雨や豪雨などによって水を含んだ土や岩が、突然一気に山の斜面を流れ下る現象。「44災」では濁沢が崩壊し、その土砂が高瀬川をせき止めて自然のダムを作り、それが決壊して一気に土石流となり、旅館などを襲いました。




「44災」のあらまし 【「広報おおまち」より抜粋】
この年昭和44年の8月7日から12日にかけて梅雨前線が停滞して雨を降らせました。8月11日は明け方から強い雨が降り始め、西部の山岳地帯では平地よりさらに降水量が多く、降り始めからの雨量が南沢岳で402mm、燕岳で133mm、笹平で137mmに達し、これらの雨を集めた高瀬川の水深も上橋の地点で3mを越えました。市内の水田は、233.6haにわたって流失、埋没、冠水などの被害を受けました。市消防本部のまとめた、農林関係、土木関係などの被害の総額は21億5596万円余りとなりました。災害の直接の原因は大雨ですが、高瀬川流域が崩れやすい地質であること、急流でV字谷であることなどが重なって、いっそう被害を大きくしたといわれています。


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