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ビッグプロジェクト 金沢港

金沢港

雪に閉じ込められた市民は港を熱望した。

昭和37(1962)年12月末から降り始めた雪は年を越えても降り止まず、昭和38(1963)年1月27日には金沢市内で181cmの積雪を記録しました。後にサンパチ豪雪と名付けられるこの大雪により、鉄道、道路など全ての陸上輸送の途は絶たれ、金沢は陸の孤島となったのです。

このため、原燃料の入手が不可能になり操業不能になる工場が相次ぎ、当時で161億円に上る莫大な被害を地元産業に与えました。さらに、地域住民は石油・石炭などの燃料や食料品といった日常必需物資の欠乏によりパニック寸前に陥ったのです。

クルーズ客船「飛鳥」写真 金沢港無量寺岸壁に到着した
クルーズ客船「飛鳥」
雪に埋もれた金沢市内写真 雪に埋もれた金沢市内
【北國新聞社提供】

このとき海上輸送は残された唯一の交通手段として、緊急物資の輸送に貢献し、三国、伏木、富山、直江津などの各港が有効に利用されました。当時、金沢には大規模な港がなく、金沢では隣の富山県伏木港から豪雪を切り開いて物資の緊急輸送をせざるを得なかったのです。

「冬でも安心して暮らしたい」金沢の人々の強い思いから金沢港の開発は始まったのです。

難工事を克服した日本有数の堀込式港湾

港は単調な砂丘の中で最も高さが低く、金沢市街に近い所として現在地が選ばれました。整備は、河北潟より日本海にそそぐ大野川下流を中心に地面を掘り込む日本でも有数の掘込式港湾として行われました。

掘込式港湾の要となる浚渫工事には巨大なポンプ浚渫船を投入しました。現場にポンプ浚渫船を移動させる際、大野川の河口部にかかる橋が障害となったため、橋桁を起重機船で吊り上げて外し、ポンプ浚渫船が通過したあと、速やかに復旧するという離れ業もやってのけました。浚渫が始まると、掘り上げられた砂は臨海工業地帯の用地造成に活用されました。

また、北陸の海は冬季は冬型低気圧の影響により波の高い時期が多く、海上での工事は4月から9月の間で殆どが施工されます。この短い合間に工事をした防波堤も冬季の激しい波浪で傾き、海中の基礎部を覆う石が飛散しました。それでも現場の職員は日本海の荒波と格闘を続け、この経験を活かし、その後の防波堤工事を進めていったのです。これ以外にも、軟弱地盤対策などいくつもの困難な条件が立ちはだかりましたが、関係者の努力で一つ一つ克服していったのです。そして、昭和45(1970)年11月1日、記念すべき第1船が3千人の市民が歓迎する中、接岸しました。

あの豪雪から7年、市民の熱意に後押しされた驚異的なスピード工事でした。

RORO船写真 建設機械を積み込む北米行きRORO船。
ROROとは「Roll on Roll off」の略。
車両を走行させてそのまま船内に積み込む。
金沢港の西防波堤工事写真 金沢港の西防波堤工事
金沢港の浚渫工事写真 金沢港の浚渫工事

そして今、世界へのゲートウェイとして…。

それから40年。市民の切実な要望であった石油基地が完成したのを皮切りに、防波堤、岸壁、航路など港湾に必要な施設が次々と整備されてきました。

昭和63(1988)年には韓国釜山との間に定期コンテナ航路が開設されたのを皮切りに台湾、中国への航路が次々と開設されて取扱コンテナ量も大幅に伸びています。さらに、北米とを結ぶRORO船が就航するなど、加賀地方と世界を結ぶゲートウェイとして、金沢港は暮らしと産業を支えています。

金沢港でのコンテナ荷役の状況写真 金沢港でのコンテナ荷役の状況。
コンテナは国際物流の主役。
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