3000m級の山々がつらなる北アルプスは、登山家たちのあこがれの地だ。毎年、たくさんの人たちが日本各地から登山にやって来る。そんな北アルプスに人が登りはじめたのはいつごろだったのか。そして、今日のようになるまでにどんな人たちがこの北アルプスに情熱をそそいできたのだろう。先人たちの足取りをみてみよう。
●佐々成政  安土桃山時代

 天正12年(1584)豊臣秀吉は徳川家康側についた富山城主の佐々成政を、雪解けを待って討つことにした。それを知った成政は家康に応援をたのもうと11月末、ひそかに富山を出発し、弥陀ヶ原・ザラ峠をへて黒部川をわたり、針ノ木峠もしくは鳩ヶ峰越えて大町に下ったんだ。装備だって十分じゃない当時、寒さきびしい雪のアルプス越えは苦労が多かったはずだ。その後、成政は浜松に着き、家康に会うことができたんだけど、すでに家康は秀吉と仲直りしていたんだって。成政の気持ちはどんなだったんだろうね。

●播隆上人  江戸時代

 仏の道をきわめようと、きびしい修行を重ねる播隆上人は、文政7年(1824)に北アルプスの笠ヶ岳に登り、頂上に阿弥陀如来像を安置した。その時、遠く槍ヶ岳を見て登頂を思い立ち、それから4年後の文政11年(1828)7月、仏像を持って登頂に成功したんだ。

●ウォルター・ウェストン  明治時代

 イギリス人の宣教師。明治時代の中ごろに3度来日し、そのたびにアルプスをはじめ日本各地を旅行。そして「日本のアルプスの登山と探検」を出版、日本アルプスを世界に紹介した人として知られているよ。  初めてのアルプス登山は明治24年(1891)、島々谷より上高地へ入り、槍ヶ岳をめざしたが天候が悪く、とちゅうで引き返した。そして翌年の明治25年、平湯から乗鞍岳に登頂。さらに槍ヶ岳の登頂にも成功した。この時にガイドをしたのが安曇村出身の猟師だった上條嘉門次だ。その後、明治26年には立山、前穂高岳、明治27年には白馬岳、笠ヶ岳、常念岳などに登っている。 現在のようなスポーツとしての登山をした人で、今でも毎年この人をしのんで上高地でウェストン祭が開かれているよ。

●百瀬慎太郎  明治〜大正〜昭和時代

 大町に生まれた百瀬慎太郎は、明治39年(1906)、大町中学校(現在の大町高校)2年の時に友達と初めて白馬岳に登った。それから3年後の明治42年には黒部の主遠山品衛門とその息子の作十郎をガイドに針ノ木峠に登っている。大正時代になると北アルプスを訪れる登山者が増え、大正6年(1917)には慎太郎の手により大町に日本初の登山案内者組合が結成された。そして慎太郎は大正14年に大沢小屋、昭和5年(1930)に針ノ木小屋を設立。多くの登山者に利用された。 こうした慎太郎の業績をたたえて、大沢小屋の前にはレリーフをはめこんだ碑が建てられているよ。

大町市の山岳博物館へ行ってみよう!
アルプス登山のめずらしい写真やいろいろな資料が展示されていて、今日までの歴史をくわしく知ることができるよ。そのほか、山岳の自然として地形・地質から生物まで見どころがいっぱい。博物館のとなりには動物園や高山植物園もあるよ。

●開館時間・休館日などの情報は「大町山岳博物館」公式ホームページにあります。
●TEL・・・・0261−(22)0211