日本海側の糸魚川と内陸の信州(現在の長野県)を結ぶルートは、古代から交通路としてひらかれていた。この道を通って、海のない信州に塩や塩づけの魚が運ばれていたので「塩の道」と呼ばれるようになったんだ。
 このような「塩の道」は全国にいくつもあるけれど、その中で姫川流域を通る「塩の道」は、戦国時代に上杉謙信が敵の武田信玄に塩をおくった時につかわれたことでよく知られているよ。でも、さまざまな物資が盛んに行き来するようになったのは江戸時代になってからのことだ。
 「塩の道」は、姫川をはさんで糸魚川から入る東の道と青海から入る西の道と二つのルートがあり、それぞれ信州への入口にあたる山口と虫川にには人や荷物をあらためる口留番所がおかれていた。また、信州側の口留番所は、越後の入口となる千国(小谷村)におかれていた。
 一般に、道は川があれば川沿いに作られるはずなのに、この「塩の道」は川からはずれて山の中腹や尾根づたいに続いている。これは姫川の場合、川のすぐそばまで急なだんがいがせまっているし、冬はなだれも多い。大雨がふれば、たびたび洪水やがけくずれを起こすから川沿いにはつくれなかったんだ。だけど、山道だって危険が多かった。道幅は狭いし、冬はたくさん雪が積もるし、吹雪の中をゆくこともある。荷をはこぶ人たちが命をなくしたり、牛が川に落ちたり、その苦労は計り知れないものがあったんだ。
「塩の道」のことがよくわかる「塩の道資料館」が山口の関所跡にのそばにあるよ。ボッカや牛方が運搬に使った道具もいろいろ展示されている。見に行ってみよう。
佐野の二僧塚(白馬村佐野)
草深い街道の風景「善光寺道名所図絵」より