外ヶ谷(そでがたに)の大崩壊

外ヶ谷位置図

外ヶ谷位置図

県道槍ヶ岳公園線を新穂高方向に向い、蒲田温泉~槍見温泉のあたりで、右前方上方に楕円形に山の斜面が崩れ落ちた跡が見えます。また、中尾~鍋平高原に至る北アルプス大橋上では、より近くに崩壊跡見ることができます。

明治22年(1889)7月24日

明治22年7月、神通川流域に大雨が降り、富山市では、24日から翌25日にかけて、大洪水となり、家屋1400余戸が浸水被害を受けました。
この大雨によって、上流域の岐阜県上宝村外ヶ谷右岸山腹で古生層が大崩壊して、蒲田川を閉塞して、一時周囲約4kmの天然ダムが形成された。
崩壊当時の状況を伝える史料が岐阜県にはなく、「富山県気象災異誌」には、「・・・午後より神通川水量増加し翌25日午後遂に1丈5寸に及び神通橋は水勢の激するところとなり将に墜落せんとす。・・・此出水たる神通川一方の水源なる高原川の上流、飛騨国吉城郡上宝村中尾組地内字外ヶ谷と称する官林数十町歩が崩れて一時は1里停滞したるも深さ3間幅5間の噴水道を生じて濁水の流出せしより幸に危険を免るるを獲たりき。・・・」と当時の富山市内の災害の様子や、外ヶ谷の崩壊状況が記載されています。

  • 蒲田川流域外ヶ谷右岸崩壊現場

    蒲田川流域外ヶ谷右岸崩壊現場(平成6年10月撮影)

  • 外ヶ谷の滑落崖頭部

    外ヶ谷の滑落崖頭部

昭和28年(1953)7月23日

7月15日から、梅雨前線上を低気圧が発達しながら日本海に進みました。低気圧の通過後には、梅雨前線が20日まで関東から九州地方にかけて停滞して、各地で日降水量300mmを超える大雨が降っていました。

栃尾 丹生川 平湯 神岡
400mm 360mm 353mm 321mm

梅雨前線豪雨により、23日夜半、岐阜県上宝村外ヶ谷左岸山腹が大崩壊しました。崩壊土砂が、外ヶ谷を堰止め、天然ダムが形成された。翌24日に決壊して、大土石流が発生しました。この時の土石流で、釣りに来ていた学童3名の命が奪われ、下流の外ヶ谷牧場の牛10頭も巻き込まれました。
山腹崩壊土砂は500万m3と推定され、土砂流出防止のために外ヶ谷の砂防計画が見直されました。この災害を契機として、翌29年5月、従前からあった砂防出張所を組織改編し、神通川水系砂防工事事務所が設置されました。

  • 外ヶ谷左岸崩壊と池

    外ヶ谷左岸崩壊と池

  • 外ヶ谷排水路掘削付近平面図

    外ヶ谷排水路掘削付近平面図(外ヶ谷奥地排水路掘削工事設計書)

現在の外ヶ谷の状況

  • 左岸崩壊箇所

    現在の外ヶ谷左岸崩壊箇所(平成17年10月撮影)

  • 下流より望む

    外ヶ谷の崩壊地(下流より望む)

現在も、崩壊跡は植生の回復はない。しかし、その後の砂防事業の効果が発揮され、下流への影響は最小限に留められています。

植生が回復した様子

植生が回復した様子