火山噴火対策

”静かだし噴火しそうもないぞ!”という方、そんなことはないんですよ!そう、焼岳は気象庁の活火山ランク(※)でもBランクとされた火山です。神通川流域にはアカンダナ・乗鞍岳を含め3つの活火山があります。神通川水系砂防事務所では焼岳火山への火山防災対策に関する火山砂防事業等、ハード・ソフト面での対策を行っております。

※火山活動度による分類(ランク分け)と言い、Aランクは100年度活動度指数あるいは1万年活動度指数が特に高い火山、Bランクは両指数が高い火山、Cランクは両指数が低い火山

焼岳の噴火の歴史

焼岳は大昔から、ずっと噴火を繰り返してきたんだ!

焼岳は、数千年~千数百年の間隔で大きな噴火をくり返してきました。いちばん新しい大きな噴火は、約2300年前に起こった噴火で「中尾火砕流」が発生しました。

1995年(平成7年) 水蒸気噴火

1995年(平成7年) 水蒸気噴火

ここ100年ほどの間では、明治以降に活動が活発になっており、中でも上高地の梓川をせきとめて大正池をつくった1915年(大正4年)の噴火、足洗谷泥流が発生した1925年(大正14年)の噴火、噴石により2名の負傷者を出した1962年(昭和37年)の噴火などが比較的大きな噴火です。

火山の寿命は長くて百万年。焼岳はまだ若い火山なんだよ。

現在の焼岳は静かで、噴火がさしせまっていると感じさせることはありません。しかし焼岳は約2万年前に活動を始めた火山で、火山の一生からみるとまだまだ活発に活動する若い火山です。いつ噴火してもおかしくない山です。

焼岳のここ100年間の主な噴火
1907(明治40)年~1912(明治45)年 水蒸気噴火活発化
1915(大正4)年 水蒸気噴火、長野県側に大正池を形成
1925(大正14)年~1926(大正15)年 水蒸気噴火活発化
1962(昭和37)年 水蒸気噴火、火口付近の山小屋で負傷者2名
1963(昭和38)年 水蒸気小噴火と地震群発
1995(平成7)年 中ノ湯水蒸気噴火
大正14年(1925)10月12日15時の噴火

大正14年(1925)10月12日15時の噴火
(中村平一氏撮影, 高山市郷土館蔵)

焼岳の硫黄は、戦国時代に活躍したんだ。

ポルトガルから鉄砲が伝わってきた約450年前の戦国時代、この鉄砲を撃つのに必要な「火薬の原料」として「硫黄」はなくてはならないものでした。硫黄は火山の噴火口付近からとれるもので、焼岳でとれる硫黄は質がよく、すぐれた火薬をつくることができました。

噴火のタイプ

焼岳の噴火のタイプは雲仙普賢岳に似てるんだ!

火山ガスを吹きだしている焼岳の頂上付近

火山ガスを吹きだしている焼岳の頂上付近

焼岳は、今までの噴火の仕方や山頂部に溶岩ドームがつくられることなどから、最近噴火した火山の中では、雲仙普賢岳と似ていると考えられています。2つの火山が似ているのは、それぞれの火山の地下に眠るマグマのタイプが似ていることが原因です。マグマには粘りけの強いものと弱いものがありますが、焼岳、雲仙普賢岳ともに粘りけの強いマグマを持つ火山です。

噴火をすると、火砕流が起きる場合もあるんだ!

噴火をすると、火砕流が起きる場合もあるんだ!

粘りけの強いマグマの噴火で、溶岩がつぎつぎと噴出してもり上がり溶岩ドームになります。それがさらに噴出する溶岩により下から押し上げられて、くずれおちたとき火砕流となります。火砕流にともなってさらに広く火砕サージ(高温の砂あらし)が起こることもあります。

火砕流は、大きな破壊力を持っているんだ!

図1

火砕流は、火口から噴出した溶岩が、高温のガスや水蒸気を出しながら山の斜面を流れる現象をいいます。そのスピードは最大時速100キロメートルを越えることもあり、また数百度に達する熱風により、建物などを焼きつくす大きな破壊力を持っています。

たくさんある噴火

図2

2,300年前以降、焼岳では9回の噴火がありました。この噴火では、降灰や火山泥流が発生しています。1回の噴火の活動は数年以上続くこともあります。

火山の恵み

どうして火山のまわりでは温泉が湧きだすのだろう?

温泉は雪どけ水や雨水などが地下にしみこみ、地下の熱いマグマに温められてお湯や、熱い水蒸気になって地上に出てきたものです。ですから、温泉はマグマが地上近くにある活火山のそばに湧き出したり吹き出したりします。

焼岳のふもとには温泉がたくさん湧きだしているんだ!

奥飛騨温泉郷とよばれる上宝村の温泉は、その湧き出す温泉の温度が高く、量がとても多いのが特長です。そのわけは、活火山“焼岳”がそばにあるからです。温泉が湧きだす泉源は活火山“焼岳”を中心にして半径6キロメートル以内に170カ所以上もあります。

図3

火山の恵み「温泉」は昔からいろいろなことに利用されているんだ。

昔、寒い平湯でも温泉のおかげで「ひえ」を育てることができた秘密。
春のおとずれがおそく、夏が短い上宝村の東部。そのため米を育てることができず、「ひえ」を栽培していました。しかし、春を待ってタネから育てたのでは、秋までに充分に実を育てることができません。そこで平湯では温泉を引き込んだ温かい水の苗田で「ひえ」の苗をつくっていました。焼岳の恵みである温泉が、当時の大切な主食づくりにいかされていた例です。