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災害の歴史【過去の災害】

西暦年 記事
1757年(宝歴7年)
米沢藩から幕府への報告書には「流失家屋397戸」、「落橋1,219個所」、「倒木23,517本」、「流木17,786本」などとある。当時は人家も少なかったことから単純な比較はできないが、羽越水害よりも規模は大きかったと言われている。
当時の絵図
当時の絵図(現在の下関付近)
1966年(昭和41年) 新潟県北部に集中豪雨。関川地方では490mmの降雨を記録。例を見ない大洪水が発生。黒川村胎内地区で土石流発生。
1967年(昭和42年) 羽越水害。小国地方で600mmの降雨。荒川、胎内川、加治川流域で大規模な山崩れが随所に発生。土石流が下流に流出。管内市町村で死者行方不明者64人。
1971年(昭和46年) 6月28日、早暁の局地的集中豪雨により加治川が氾濫し、3,930世帯に被害を及ぼした。この時の被害総額は7億円に達した。
1978年(昭和53年) 胎内川・加治川に集中豪雨。「6・26梅雨前線豪雨」と呼ばれ、その被害総額は、1,063億円にも達した。
羽越水害の管内(小国町・関川村・黒川村・新発田市)被害状況
 昭和42年8月28日から29日にかけて新潟県下越地方から山形県南西部は記録的な集中豪雨に見舞われました。総降水量の最大値は黒川村の胎内第1ダム観測地点で748mmを記録し、各地の山間部や渓谷で山肌が崩れ落ち、関川村や黒川村、小国町では土石流や鉄砲水、河川の氾濫によって多くの死者・行方不明者が出る大災害となりました。
死者行方不明者(人) 家屋全半壊(棟) 浸水家屋(棟)
64 1,919 12,627
1.[8.28水害]はどのようにして起きたのか

 荒川を中心とした流域で大氾濫が起きた昭和41年7月、その水害復旧も完了していない翌昭和42年8月28日、前年の[7.17災害]の規模をはるかに上回ることになった羽越水害[8.28災害]が発生しました。その大きな原因は前々日の26日、日本海に発生した大きな低気圧が羽越地方に東進しながら活発に活動し、30日までの5日間に記録的な降雨量をもたらしたことによります。

 異常に活発化した寒暖両気団は8月27日夕方からさらに勢力を強め、29日までにかけて新潟県下越地方から山形県南西部にかけて未曾有の集中豪雨となりました。

 荒川、胎内川、加治川の本・支流の広い範囲で、午後4時30分ごろに各地で避難勧告が発動されてから2~3時間という短時間のうちに、家屋の2階まで冠水する大洪水、土石流災害がおきたのです。

レーダーエコ
レーダーエコがとらえた雨雲の動き
2.夕刻の大混乱の中で災害救助法が発動される

 8月28日夕刻、記録的な集中豪雨も峠がこえたとの見通しがあったものの、荒川、加治川、胎内川などの流域の山間部や渓谷では、何カ所も山肌が崩れ落ち、流域の関川村、黒川村、小国町、新発田市では土石流や鉄砲水、河川の氾濫によって、数々の橋が崩壊し、家屋も押しつぶされたり流されて倒壊。とくに各流域では、流出した土石流や鉄砲水が多くの人命を呑み込み、土石流災害としては過去に例を見ない死亡・行方不明者が出た大災害となりました。

 鉄道や幹線道路も各地で寸断され、ほとんど空からの交通以外の連絡手段が絶たれて、災害救助法が発令されたものの、災害後の復旧にも困難を窮めることになりました。

3.変わり果てた町や村の光景には誰もが茫然自失
 土石流が起きたため、道路や鉄道、家や農地などはあっという間に泥に飲み込まれてしまいました。
災害時の様子1
荒川関川村下関周辺の氾濫状況
災害時の様子2
流木の山となった小国大橋(小国町小国地区)
災害時の様子3
がん丈な家も土石流にはひとたまりもない(新発田市溝足地区)
災害時の様子4
土石流で河原と化した温泉街(関川村湯沢温泉地区)
災害時の様子5
災害は培ってきた生活を押しつぶす(胎内市(旧黒川村下荒沢))
災害時の様子6
鍬江地区(胎内市(旧黒川村))
災害時の様子7
大混乱の中、8月28日のうちに合同災害対策本部が設置された。(新発田市)
災害時の様子8
橋梁が全壊したり落橋等によって交通が途絶える(小国町)
災害時の様子9
押し流され跡形もなくなった家屋や建物、家財(関川村)
災害時の様子10
収穫期をむかえる前に無惨に流出埋没した農地(新発田市)
災害時の様子11
命のせき 大被害をうけながら蔵王部落は死者が一人もでなかった(胎内市(旧黒川村))
災害時の様子12
たくさんの雨で 川の水があふれました。
災害時の様子13
家の2階まで土砂でうまってしまいました。
災害時の様子14
鉄道も泥水に飲み込まれました。
災害時の様子15
小国大橋が流木でいっぱいになりました
災害時の様子16
温泉街にとても大きな被害がでました
災害時の様子17
建物の中まで水びたしになりました
災害時の様子18
道が土砂であふれて見えなくなりました
  新潟県 山形県
死者行方不明者 134人 8人
重軽傷者 471人 137人
全壊・流出家屋 1,080戸 193戸
床上浸水 16,422戸 4,923戸
被害金額 1,039億円 255億円

災害の歴史 【土石流とは】

土石流:羽越水害で大暴れした土石流は、大雨などによって山や谷にある石や土砂が大量の水と混ざって一気に流れ出すことです。一番大きな岩が先頭になって流れ象の何倍も大きな岩を押し流すほど強い力をもつこともあります。土石流のスピードは市街地を走る自動車と同じくらいのスピード(時速20 ~40km)で、くずれやすい谷や流れが急な川のあるところでよく起きます。
土砂災害から身を守るためにいつも心がけなくてはならないこと、前ぶれ。

雨の量(雨量)に注意大雨や長雨で危険と思ったらすぐに避難する。1時間に20ミリ以上や降り始めてから100ミリ以上雨が降ったら危険。

【こんな時は速めに避難】

  • 「山鳴り」といって、山全体がうなっているような音がする時。
  • 川の流れが濁ったり、流木が混じっている時。
  • 雨が降り続いているのに、川の水が減っている時。

【雨量ってなに?】

雨量とは降った雨がそのままたまった時の雨水の量の事を言います。いろんなところにある雨量表示盤で知ることができます。