中学生の部 銅賞作品 「川とのつながり」 赤羽 成美 安曇野市立豊科南中学校

 私の通っていた小学校の近くには小さな川があります。それは、当時の児童、PTAの方によってつくられたもので、休み時間や放課後などの時によくそこで遊んでいました。川の周りには木や草花などの自然が多く、とてもきれいでしたが、水の中は、ヘドロ等があり黒くにごっていて、泳げる状態ではありませんでした。
 小学校四年生の時から総合の時間に「自然」をテーマに三年間活動していました。身近にある自然を守るという内容でした。私達はまず学校の横にあるその川から掃除する事にしました。でも、ただ掃除するのではなく、自然とふれ合うと言う意味で、川遊びをしました。水草を投げ合ったり、水をかけ合ったり、川の中で追いかけ合ったりする事で、石にこびりついていたヘドロが取れ、川のすみの方にたまっていたドロなども流れていきました。川底の小石が見えるほどきれいになりました。
 このような小川ならすぐにきれいになるけど、堰などの大きな川になるともっと汚くなっています。ポイ捨てされたゴミも落ちているし、たまに自転車などの物も捨てられています。だから、ゴミ袋を持ち、長ぐつをはき、転ばない様にゆっくりと歩きながらゴミを拾っていきます。確かに川はきれいになりますが、それだけでは、またゴミを捨て、拾ってのくり返しになってしまいます。だから、道を通る人が「ゴミを捨てる」と思わない様に、道に、花を植えたプランターを置きました。そうすれば、自然も豊かになるし、何よりもそこを通る人がとても良い気持ちになれると思います。川は生きていく中で必要不可欠な物です。私達はただきれいにするだけでなく、川とふれ合い、自然を見て楽しめるような環境にしてきました。
 川で思いつく事は「環境問題」だけではありません。私はその川のでき方、どれだけの人によってつくられたのか、どのくらいの月日がかかったのかなどの事が知りたくて、調べた事がありました。わかった事は、川は生きていくために必要なもので、命がけでつくられていたと言う事です。田んぼは川から水を引くので、川がないと稲が育ちません。なので川はなくてはいけません。でも、完成するまでに何年もかかるし、無事完成するとも限りません。そこまでしてつくられた川を、私達は大切にしなくてはいけないと思います。
 今はあたり前の様に食べているお米も、本当は川がないと育てられないし、川がないと水も手に入りません。自然と日常の中にある川も、本当はとてもかけがえのないものです。今はどんどんその意識がうすれてきています。もっと身近なところを見つめ直し、川について考える事も必要だと思います。そうすれば、もっと川とふれ合う事も多くなり、川についての思いもふくらむと思います。昔の人はよく水遊びをしていたと思いますが、その「水遊び」も川をきれいにする最も効率の良い方法ではないのでしょうか。今、川の水が汚くなってきているのは、そういった昔ながらのものが少しずつ消えてしまっている事が反映しているのかもしれません。
 今必要な事は、「川をきれいにする」という事だけではなくて「川と共に生きていく」という事も大切なのではないのでしょうか。
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