中学生の部 銅賞作品 「川と水害と自然」 市村 和哉 飯山市立第一中学校


 二百十三キロメートル、これは、何の長さかというと千曲川の全長である。千曲川は新潟県に入ると信濃川と名前を変え、やがて日本海に流れている。千曲川から信濃川を合わせると全長三百六十七キロメートルと日本一の長い川になる。普段見る千曲川はながれがゆっくりで、時々釣りやボートに乗ってたのしんでいるところを見かけたこともある。稲を育てるためにも川は大切である。しかし、そんな川が、ひとたび雨が降ると急に流れが速くなり、降り続くと水かさがものすごく増え、 恐ろしい姿に早変わりする。今年の七月十三日にも、新潟県で集中豪雨があり、支流の川が決壊し、ものすごい被害があった。僕の親せきも被害にあった。そのためではないが、七月の末に新潟へ行く用があり、三条市を通った。川は何もなかったように水かさも少なくなっていた。しかし、だく流に押し流された車が田んぼの中に数台あったり、広い敷地には、山積みにされたゴミがすごい量だった。新聞を読んだら、死者や行方不明も出たり、何千戸も家を壊され、家財を失ったと書いてあった。僕は、この水害について作文を書こうと思った。
 僕の住む飯山でも過去に水害があったとお父さんが言っていました。一九八二年と一九八三年に連続で水害が発生し八百戸の家が水につかり、大きな被害があったそうです。その時お母さんは、上流の豊野町に住んでいましたが、豊野も、もしかしたら決壊するのではと大さわぎだったようです。千曲川が流れる地域の人たちは、どこで決壊するのかと心配したり、土をつめた袋を積んだりしていたようです。 それが飯山で決壊したのです。千曲川の水が流れ込むのだからすごいと思う。あっという間に水かさが増えボートで救出された人もいたようです。それに、飼っていた牛が流され、たくさん死んだと聞きました。作物もだめになったそうです。
飯山の人たちは水害が起きる度に対策を考えてきたようです。川底の土砂を取り除き、水が流れやすくしたり堤防もつくりました。堤防ができてからは、水害も減ったようですが、それでも一九八三年には、くずれ、さらに高い堤防をつくったようです。水害のための苦労ってすごいと思いました。でも、どうして水害が起きるのだろうと思ったので調べてみたら本に書いてありました。一つ目は千曲川は長い川で、この川に流れこむ支流がたくさんあるということです。二つ目は、下流にいけば、川幅も広くなりゆったりと流れるのが普通ですが、飯山は下流の地域の土地がだんだん高くなっていることで、川幅も広がらなかったり、また、西大滝のダムで上流から流されてきた大量の土砂がたまってしまい、川底がだんだん高くなっていくなどで、水が流れにくくなるそうです。三つ目は、道路や家や工場ができ、水田や空き地が減ることで、水をたくわえる場所がなくなってきたことです。四つ目は、森林を切り倒されたり、道路をほそうしたりすることだそうです。僕は、六年生の時、飯山の鍋倉へブナを見に行き、その時の説明に、ブナの森の地面は落ち葉の層になっていて、雨水をたくわえる自然の貯水池となり一度に川に流れることを防いでいることを聞きました。
 千曲川は昔から変わることなく流れていても、まわりが住みやすさのために自然がどんどんなくなってきていることが原因だということがわかりました。飯山は自然が多いといわれていても、やはり自然がなくなってきているのだと思います。千曲川の川を汚さないようにしたり、自然を守ることが水害を防げるのかもしれません。僕に何ができるかは、まだわからないけれど、飯山の自然を守っていきたい。

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