中学生の部 銅賞作品 「犀川のお話し」 滝沢 良枝 長野市立更北中学校


 日本には短くて急な川が多く流れている。その中で私たちにとって一番身近な川は、『犀川』である。
 犀川は私の住む丹波島の北を流れる川で、少し歩けばもうそこにつきあたる、というような場所だ。犀川には色々とお世話になった。小学生の時には父とその友達でバーベキュー、中学生の時にはみんなでそろって体験学習なんかもしたりした。 このように犀川は、距離的な感覚だけではなく、心のよりどころとしても、私にとっては重要な、なくてはならない、とても身近な存在だと、私は思っている。
 昔から絶えず流れる犀川、その犀川の存在は私の体験だけではなく、周辺の歴史にも深く関わっている。
 例えば、私が住んでいる所の丹波島は、昔宿場町だったらしい。中には川を挟んだ向こうから旅に来る人がいて、必ず川の岸には船頭の役割を果たす人がいた。川が穏やかな時は、お金を渡せば難なく向こう岸に渡ることができた。しかし、川も気まぐれだ。時には怒った人間のように激しく暴れ、旅人の旅路を塞いでしまう。 その時の慌てふためく旅人の姿を想像すると、案外面白いものである。
 また、こんな話も聞いた。丹波島を一部とした『三本柳』という地名。これも川が深く関係している。
 前にも言ったように、川も時には荒れる。昔、犀川から水が溢れ出して、洪水になった事があった。この時、巻き込まれた人々は救いを求めた。水が今にも残った人々を襲おうとしたその時、進路方向に立っていた三本の柳が倒れて水をせきとめた。そのおかげで助かった人々が、この地を『三本柳』と名づけたようだ。この三本柳はもう今となっては一つの地名として、そこに住む私達に浸透している。もし、あの時洪水が起こらなかったら、今の地名は『三本柳』ではなく、何になっていたのだろうか…。この話を聞いて、私は改めて犀川の存在を知ったと思っている。
 私の中の犀川の存在は少しずつ大きくなっていった。そんな頃だ。私が自分の人生に大きな決断をしたのは…。
 それは、犀川と歴史の関係を知る少しばかり前のことだ。小学校三年生の時、理科を習い始めたばかりの私達は、“石の種類を知ろう”ということで先生や同じクラスの人達と一緒に犀川へ石拾いに出た。犀川にはとてもきれいな石が沢山あった。私はこの時石の種類を知ると共に、『理科』という教科の面白さを覚え、興味が湧いてきた。
 それからである。色々とある教科の中で理科が好きになったのは。だから将来は理系の仕事に就こう…と考えたのも、犀川へ行ったあの時の出来事が原因である。
 犀川を近くの橋から見下ろすのも好きだ。とても青々しくて、きれいな川を広くのぞむのが気に入っている。犀川は釣りのポイントとして長野では有名である。食用の魚も釣れるし、景色もいいからキャンプに来て、雄大な景色を眺め魚でも釣りながら、一晩過ごしてみるのもいいものではないか?私は結構おすすめだ。
 しかし、近年、残念なことに川でいろいろな体験をする機会が少なくなってきている。もっと川とふれあうチャンスが増えて、川のことを意識する人が増えてほしい。
 犀川は、私達の生活にも、大げさに言えば私達の生涯で増やしていく経験にも欠かせない、大きな財産なのだから。
 一方、そんな犀川に最近思うことがある。
 犀川を上から見ていると、水の一部が濁って見えることが増えた。これは、もしかしたら私達が汚してしまったのかもしれない。だから、もう少し水に大切なことをしていきたいと思う。犀川にはいつまでもきれいな川でいてほしい。
 水の絶えない、濁りなき川で…。

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