中学生の部 銅賞作品 「川と私達」 遠藤 昌子 豊科町立豊科北中学校 


 私の家の近くには、犀川が流れています。犀川の近くには、大王農場というわさび畑が広がりたくさんの観光客が来るとても風景の良い所です。犀川のそばには、 私のおじいちゃんとおばあちゃん達が米を作っている田んぼがあります。
 私の住んでいる地域は米作りがさかんで、あちこちで田植えをしたりいねかりをしたりするのを見かけます。考えてみると安曇野という地域は、米作りを主にする地域ですが、米作りをするためにはたくさんの水が必要です。田んぼをたがやす時には田に水を入れ、また、いねかりするまでに毎日田んぼの水の様子を見に行きます。水がないと米ができないのです。美しい自然があり、大切な米を作るためには、どうしても水がないといけません。
 私が、大王農場の近くにある田んぼに行った時、観光客の人たちが犀川の土手のあたりを歩いているのを見ました。きっと都会から来た人だと思います。ゆったりとした風景は人々をいやし、美しくとてもいい所だな、いい川の様子だなと感じさせているんだと思います。私たちのまわりに川がないのを想像してみるとちょっとさみしい感じがします。水がないと、田、畑ができず、わさび畑もできません。美しい緑もあまりなくなってきてしまいます。
 また、私の親せきのおじさんに犀川で魚を取って持ってきてくれるおじさんがいます。おじさんは明科町に住んでいて犀川がすぐ家のとなりにあります。おじさんは、「あかうお」という魚と「にじます」を取ってきてくれます。「あかうお」という魚は「うぐい」という名と同じだと教えてもらいました。その魚はきれいな川ではないといないそうです。昔は、海のない長野県では、このような魚がとても貴重だったと思います。そして、昔から変わりなくこのような魚がとれる犀川は、とても大切で貴重な川だということです。川によって魚が食べられたり人々に暮らしにとても大きな影響を与えているのです。
 それに犀川は、「信濃の国」にも歌われています。ずうっと昔から長野県では大切で貴重な川という事です。
 犀川では、魚がとれ犀川のまわりには豊かな米作りがさかんです。
 犀川のまわりに住む人々はそれぞれ川からの恩恵をたくさん受けていると思います。昔から今まで変わることがなく流れる犀川は多くの人々にたくさんのことを与えてきたのです。しかし犀川で、昔おじいちゃんの友達が川に流されて亡くなったそうです。魚を取りに行って川に流されてしまったのです。川はいろいろ人間に与えてくれますが、やはり恐ろしい一面もあるのです。昔は堤防が切れて水があふれ出してしまったこともあるそうです。川を大切にしながら人間は川を支配するというかうまく導いていかなくてはいけないのだと思います。自然は、はかりしれない力があり一瞬にして人間の命をうばうこともあります。だから私たちは川や自然と共に仲良く生きていかなくてはいけないのだと思います。川からいろいろなものを与えられる変わりに私たちは、川を美しくこれからずっと先の私たちの子どもたちにもこのことを伝えていかなくてはいけないのです。
 また、私たちの子どもたちにも犀川で魚を取りその魚が食べられる美しい川であるよう川を守っていくことが大切な私たちの役目だと思います。
 犀川がいまのまま、ずっと、未来まで、美しい川であれば、安曇野、私たちの町は、ずっと美しい町でいられると思います。加えて私たちの町には「名水百選」に選ばれた水があります。美しく、清らかな水は私たちをなごませ秋は野沢菜漬の野沢菜を洗ったりします。以前は飲み水としても使っていた美しい水です。
 安曇野は、このように豊かな、美しい水に囲まれた地域で豊かな感情もはぐくまれるのだと考えます。
 私はこのように美しい水、そして川を大切にして美しい郷土を守っていくのが私たちの努めだと思います。

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