中学生の部 銅賞作品 「自分のために みんなのために」 堀越 彩花 長野市立更北中学校

美術部で「川」をテーマにした絵をかくということで、題材にする写真を撮りに千曲川へ行きました。そして、川に着いたときに思ったことが二つあります。一つ目、それは川の流れの速さの差が場所によって大きく違っていてかくのが大変そうだな、ということ。二つ目、この川はどうしてこんなにも汚れてしまっっているのだろう、という二つのことです。とても危なそうな割れたビンのカケラ、空きカン、お菓子の袋、川の水面でどんよりと溜っている油のような液体や小枝。パッと見ただけでも目に飛び込んでくるこれらのゴミ。私達にはどうすることもできないのかな。そんなふうに思わされました。今の川をこのまま紙に描いたとしたら、かく方も、見る方も気分が悪くなってしまうんじゃないかな。だとしたらどうしたらいいの。なやんでしまいました。そんなとき、ちょっと前におじいちゃんが言っていた言葉を思い出しました。
「昔は、そこら辺の川で泳いだり、遊んだりしたんだぞ。」その言葉に私はあこがれました。私も、今はこんなだけど、この川がきれいだったら泳いでみたいです。
 洗剤水やゴミなどが水といっしょに流れている川だけど、この水は回りめぐってまた私達の家へ体へ返ってきます。今の川には、魚も住めないと問題になっています。なら、その魚も住めないような川を流れてきた水を使ってみんなは考えないのだろうか。水をきれいにするために、川にゴミを捨てないようにしようとか、川をきれいにすることは、自分のためにも、人のためにもいいことだとか私は思います。でも、ほとんどの人は分かっていてもその場にポイッとなんでも捨ててしまうんだろうなとも思います。
 今の人が泳げない川と、昔の人が泳げた川とでは人々の気の使い方が違うんじゃないかと私は思います。今は、買えばなんでもそろうし、不自由な生活を送っているとは言えないような便利な生活をしています。だからこそ、昔には無かったもの、貴重だったものを簡単に捨ててしまえるようになったんです。それに比べて、昔はものが不足していて、今では捨ててしまうようなものもリサイクルしていたから、川は汚れずに人々に使われていたんだと思います。そのことを知って考えた上でなら、みんなゴミを川に捨ててきたということを後悔して、やめるようになるはずです。今、自分達の好き勝手に川を汚してしまえば将来は、川の水をいくらきれいにしたって言っても「川の水はこわくて使うことができない。」ということになってしまうかもしれないのです。
 私は、いつでも水道水には料理が作れる水で、お風呂が沸かせられる水であってほしいです。そのために川にゴミを捨てるなんてことはやめてほしいです。そして、一人残らず世界のみんなでゴミによる水の汚れについて考えて、その汚れが引き起こす害を未然に防いでいけたらいいと思います。そうなったらきっと、何年、何十年後かにはまた昔のように、川で泳ぐことができるようになるのかもしれません。魚が住めるようになるのかもしれません。そうなったら、人々の生活は大きく変わるでしょう。私は、一刻も早く、自分のために、地域の人達のために住み良い、きれいな川になってほしいです。人は、川を良い方へも、悪い方へも変えていくことができるんです。だからこそ、一人一人の気持ちや気づかいでかなえられる願いなんです。

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