中学生の部 金賞作品 「輪中の村牛島と川との共存共栄」 西村 陽平 長野市立若穂中学校

 僕の住んでいる牛島は、『輪中の村』という名で有名です。牛島は、昔、千曲川と犀川との合流地点だったことにくわえ、その他二つもの川が流れていたため、数多く川が氾濫していました。そこで、牛島の人達は、水から身を守るために、輪中というものを考えだしました。
 まず、輪中とは、低湿地のある集落や耕地を大水から救うために堤防でとり囲んだ地域という意味です。
 牛島の水害はかぞえきれないほどあります。例えば、一番有名だったことは、一八四七年におきた善光寺大地震です。この地域による山崩れによって犀川に石などが入りこみ、牛島は沈みかけそうになったといわれています。他に一八九六年におきた大洪水も有名です。約一五四年振りの大雨により、沿岸地域は二十三日間も浸水していたほどです。牛島では死者が出たり、家屋が倒壊したり、これも大変だったそうです。他に、台風関係では、一九四五年におきたアベック台風、一九四九年におきたキテイ台風、一九五九年におきた台風七号、一九八二年におきた台風十号、十八号、一九八三年におきた台風十号の影響による水害に牛島の人達は困っていました。
 こういうことがおきていたので牛島の人達は、「犀川の春水と千曲の夏水」と呼んで日頃警戒を怠りませんでした。人々はまず、一八〇一年に千曲川と犀川に対する堤防と集落を取りまくようにして輪中をはりました。砂、石などを使い、集落を囲ったとされています。輪中の他に人々は、いろいろな工夫をしてきました。例えば、「水屋」です。これは、浸水から住居を守るために、家や土蔵をできるだけ高くすることで水から守ろうとしていたのです。他に、「水かめ」、「高台」といろんな工夫がされていました。
 このように考えていくと、悪いことばかりだと思いますが、川の近くだということでの利点もあります。それは、川のもたらす肥沃な土壌によって豊かな収穫をあげてきたことも事実です。大豆、野菜、長野の特産物のリンゴもたくさんとれました。
 こういう千曲川と犀川に近いこともあり、父と一緒に千曲川で釣りをしたこともあります。夏の暇な時にはいつも「行こうよ!」と言って無理やり父をさそい、ハヤなどの川魚を釣りにいきました。釣りざおの先が沈んであの釣る瞬間が楽しく時間がたつのも忘れるくらいでした。他に、家族で犀川の近くで、キャンプをしたこともあります。釣りをしたり、星を寝ながら見たりと、ここでしかできないことが体験できました。
 でも川には、誰かが捨てた花火のゴミや食料品のゴミ、中にはタイヤまで捨ててありました。これは、ゴミを捨てる人間がなくならない限り、ゴミも減りません。こうやって見てみると今の千曲川、犀川は、なんかにごっています。家の人に聞くと、昔はもっときれいでホタルもいたそうです。こういう変化もある千曲川、犀川です。
 いろんなことを考えていくと、牛島は、水害に対するリスクもあれば、川の近くということで農業も盛んで、釣りもできます。人間の行いによって川はきれいになったりも汚れたりもします。
 だから、僕は、ゴミのポイ捨てを止めるなどの出来ることからはじめ、川を守っていこうと思います。そして、この千曲川、犀川のある牛島に生まれたことを誇りに思い、川と共に生活していきたいです。

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