川と共に暮らす
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蚕都上田の礎 飯島堤防と中之条堤防(上田市秋和、上田市中之条)

全国一の蚕種業、養蚕業

上田盆地を急こう配で蛇行する千曲川では、右岸の飯島堤防と左岸の中之条堤防が水衝部となり、江戸期を通じて破堤を繰り返し、田畑の流出と土砂の流入が繰り返されてきた。
千曲川の氾濫原は蚕種業に適した桑を産出し、明治になると上田盆地は蚕種業と養蚕で全国一の産地を形成した。信越線軌道も敷設されたが堤防整備は遅れ洪水に苦しんだ。

飯島堤防と中之条堤防

千曲川に突出した左岸の中之条堤防は千曲川が強く衝突する位置にあり、石張りの堅固な堤防も明治39年7月の洪水で破壊されるなど何度も破堤している。さらに中之条堤防から洪水の流心がまっすぐ右岸の飯島堤防へ向い、明治29、31、39年、大正3年の4回にわたり決壊している。濁流は秋和、上塩尻、信越本線、さらに下流の元宿山根に至り、人家、鉄道、田畑を荒地と化した。

大正期、飯島堤防の修築工事(佐藤裕信氏蔵)
(千曲川一世紀の流れ 明治26年測量図と今、P72)
昭和10年10月8日 小県郡塩尻村秋和
秋和護岸工事大聖牛右岸(下流ヘ向テ)
左:蚕の産卵(写真提供:株式会社高原社)
右:各種繭玉(写真提供:株式会社高原社)
明治39年7月 洪水後、点線で示された飯島堤防が決壊した

蚕都の礎

その後、ともに堤防の嵩上げ、石張りのコンクリート中詰めがなされるなど補強されたが、昭和恐慌の大不況のなか進められたこの工事は、地元雇用に寄与し多くの農家が救われた。
昭和25年に飯島堤防が決壊し、直ちに復旧工事にかかるとともに新たに堤防350mを新設、さらに上流で合流する矢出沢川にも堤防を築き昭和27年に完成させた。

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