第2期改修工事は1949(昭和24)年に開始。ところが1958(昭和33)年、1959(昭和34)年と続けて台風が襲い、計画高水流量を突破。さらに1961(昭和36)年のいわゆる「三六災害」では豊科の犀川堤防が決壊するなど、洪水被害が続きました。
1965(昭和40)年新しい河川法が制定。「国土建設の長期構想」(建設省)において治水が全体計画の中に位置づけられ、1985(昭和60)年度をめどに堤防、多目的ダムなど治水、利水のための基本施設の建設が進められることとなりました。
しかし、1981(昭和56)年から3年連続の大洪水に襲われます。中でも1983(昭和58)年の洪水は戦後最大といわれた1959(昭和34)年をも上回り、千曲川下流の飯山市戸狩と柏尾の2カ所で本川堤防が決壊。大きな被害をもたらしました。ただちに復旧工事を行い、1987(昭和62)年にこの地区の堤防は完成しました。
このような洪水被害の経験を通して、千曲川流域の人々の生命と財産を洪水から守る河川改修事業が続けられています。