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地すべりと集落の暮らし

・地すべりと集落の暮らし
>> はじめに
>> 西会津町と滝坂・銚子ノ口
>> 明治21年と明治38年の滝坂地すべり
>> 昭和24年の滝坂地すべり
>> 昭和33年の滝坂地すべり
>> 笹川の架橋と地すべり
>> 銚子ノ口の「幻の橋」
>> 地すべり対策工事等
>> おわりに

・資料集
>> 坂地すべりによる住宅移転の経緯
>> 新郷村字滝坂の一大惨害
>> 地すべりによる荒廃状況
>> 昭和24年地すべり当時の日記

●笹川の架橋と地すべり

 昭和三十年に集落事業として、引牧地区と細越地区間に丸木橋を架ける計画が持ち上がり、早速調査の後、栗材と杉材で同年に集落全員総出で笹川橋を架けた訳です。
 ところが、昭和三十三年の大洪水により、阿賀川が増水し笹川橋が落下してしまいました。これにより地元では町に吊り橋の設置を強く要望し、昭和三十五年に吊り橋が完成した訳です。
 これとは別に、滑沢地区から上孫目地区に通じる道路と橋は、高圧線の設置工事に伴い東北電力に要請し設置できた訳です。
 昭和三十五年には、滝坂地区のほぼ全域で大規模な地すべりが発生し、笹川は押し出された土砂で閉塞し、あふれた水で付近は沼になりました。
 昭和五十三年には、笹川に面する、馬頭観音周辺の道路が洪水により崩落し通行ができなくなりました。この頃には、吊り橋も老朽化し重量制限され、更に長年地すべりの押し出し土砂等が川底に堆積したため、川幅が狭まり洪水の度に吊り橋は「浮き橋」になり、流木やゴミが吊り橋に引っかかりその撤去に大変苦労してきた訳です。
 そんなことから、地元では永久橋の建設を関係機関に切に要望した結果、二十年来の願いがかなって建設省阿賀野川工事事務所(現国土交通省阿賀野川河川事務所)が工事用の道路橋として架橋することとなり、平成十二年五月十七日、めでたく地元親子三代夫婦を先頭に渡り初めが行われ、滝坂橋が開通したのです。


昭和28年完成の丸木橋
昭和28年完成の丸木橋
昭和35年完成の吊り橋
昭和35年完成の吊り橋
   
洪水時の吊り橋(平成11年)
洪水時の吊り橋(平成11年)
平成12年完成の工事用橋梁
平成12年完成の工事用橋梁

 


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