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阿賀野川の歴史 最終更新日:2008.02.22

河道変遷の歴史
砂州や砂丘に囲まれた越後平野
 大昔の越後平野は、そのほとんどが海でしたが、次第に日本海沿いの砂丘が発達し、内海に阿賀野川や信濃川によって運ばれた土砂が堆積することで、陸地として越後平野が形づくられました。
 しかし、越後平野の海岸に沿って砂丘が発達しているため、海への排水が困難で、平野の低平部にはいたるところに潟湖や沼地がありました。ひとたび河川が氾濫すれば、あたり一面が大きな湖となるような地域でした。
正保2年(1645)頃の越後絵図
正保2年(1645)頃の越後絵図 (新発田市立図書館)
正徳3年(1713年)頃の阿賀野川
 今からおよそ280年前、阿賀野川は現在と大きく違った流れをしていました。早出川の合流点付近では乱流(川の流れが右に行ったり、左へ行ったりして方向が定まらない状態)が激しく、川が何本にも分かれ、安田から下流の京ヶ瀬まで、現在の川より東側を蛇行(くねくねと曲がっている状態)して流れていました。また、下流部の松ケ崎付近では大きく曲がって、現在の通船川の位置を流れ、河口部で信濃川と合流し、河口はひとつになっていました。
正徳3年(1713)頃の阿賀野川
宝暦12年(1762年)頃の阿賀野川
 今からおよそ260年前の享保15年(1730年)に、新田開発に力を入れる新発田藩は、阿賀野川右岸低地の排水のため、松ケ崎で砂丘を切り開き直接日本海に流す放水路工事をしましたが、その後の洪水がきっかけで松ヶ崎が河口となりました。それまでの阿賀野川の本流は、通船川として残っています。早出川合流付近では、乱流が少なくなり、安田町から横越村までの流れが全体的に西側に移動しています。
宝暦12年(1762)頃の阿賀野川
明治44年(1911年)頃の阿賀野川
 今からおよそ80年前の阿賀野川は、笹掘から早出川への流れがなくなり、上福岡から水ケ曽根、小河原から京ケ島へ至る蛇行した流れもなく、現在の姿に近い形となっています。明治44年から現在までの間には、大正4年から行なわれた阿賀野川第1期改修工事などがあります。これらの工事により、横越村(当時)焼山の曲がった流れがなくなり、川全体が整備され、網の目のように流れていた川が、直線状に流れるようになっています。
明治44年(1911)頃の阿賀野川
現在の阿賀野川の河道
明治44年(1911)頃の阿賀野川

阿賀野川河道変遷のアニメーション
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